赤のピンヒールで踊る

だいたい何らかのコンテンツに狂っています

ヒトラーとアイドルの類似性

ヒトラーの話なので公開するか迷ったんですが、一昨年書いたレポートを発掘したのであげます。

大1の秋に書いたものなのですごく見苦しい+ほぼ引用で終わっていますが、まあ、記念!(ブログ用に加筆修正済)

 

 

ヒトラーとアイドルの類似性』

 

アイドルに対してオタクは盲目だ。

彼/彼女らは作り込まれた偶像を信じ込み、あるいは偶像を自ら作り上げ、熱狂し、信奉する。

それはある種の宗教のようでもあり、レニ・リーフェンシュタール監督の映画『意志の勝利』における、かつてヒトラーに対して向けられた民衆の眼差しと似ていると感じた。熱狂するアイドルオタクは独裁者に歓声を上げる群衆と何が違うというのだろうか。本レポートでは、ヒトラーとアイドルの類似性について考察する。

 

田野大輔は『意志の勝利』の群衆を見て「独裁者に忠誠を誓う従者というよりはむしろ、アイドルに声援を送るファンの姿に近い」と述べている。この映画はプロパガンダ的な映画であるから当然ではあるが、リーフェンシュタールは過度に対象を美化、つまりヒトラーを「神格化」して映像化している。これについて瀬川裕司は、彼女は「現実のものを〈現実を超えた芸術〉として提供するべく努力した」と書いているがこれについては、アイドルにも同じことが言えると考えられる。

 

そもそもアイドルとは何か。

大辞林によると「偶像。崇拝される人や物。」と定義されている。アイドルは現実に生きる一人の人間ではあるが、同時に自己をキャラ化して偶像を作り上げそれを演じている。

西条昇らが述べているように、「アイドルは,恋人がいても『いない』,焼き鳥や塩辛が好きでも『プリンやクレープが好き』とコメントし,年齢,体重,スリーサイズなどのプロフィールを虚偽報告して『仮想』 の『偶像』を創り上げた」のである。いわば、現実の自分を誇大化してファンに提供しているのだ。AKB48は恋愛禁止を謳っているが、それの真偽はさておきファンに「誰のものでもないアイドルという自分」を魅せることが大切なのだ。

これは女性アイドルに限らず男性アイドルでも同様の意向は見られ、Sexy Zone中島健人は徹底的に王子様キャラを作ることによって偶像性を強化している。嵐の二宮和也は「普通の男の子たちがある一定の条件を満たすと神格化する、その一定の条件にコンサートが含まれている」と述べており、普通の人が条件付きで神格化されると語っている。

 

一方ヒトラーについて、ペーター・スローターダイクは「彼はまさに『水平的理想化』によってつくりだされた偶像」と述べており、彼のイメージもまた作り上げられた「偶像」ということが分かる。ナチ党が民衆に対して行ったのは高田里恵子の言うところの「フィクションへの執着、イメージによる大衆操作術」であり、これらのことからアイドルとヒトラーのキャラ戦略的な類似点が見えてくるだろう。

さらに、デートレフ・ポイカートは「ほんの一瞬だけ、しかもたいていは遠くから見たにすぎなかってとしても、『総統』との出会いはつねに強烈で、まったく個人的な出来事として説明された。」と記したが、これはまさに推しを目にしたオタクのようである。コンサート会場で耳にする「今○○私のこと見た!」との発言と同様ではないか。アイドルとファンが出会うとき、その瞬間は世界は二人だけのものであり、きわめて個人的な経験なのである。この記述より、極めて個人的な出来事の集合が民衆とヒトラー、オタクとアイドルの関係を形成するという点でも類似点を見出せた。

 

では、ヒトラーとアイドルは同一視して良いのか。それは違うだろう、と考える。

ヒトラーが悪名高い理由は一極集中の独裁体制を敷いたこと、そして第二次世界大戦を引き起こしたことや優生学による大虐殺を行ったことである。ヒトラーがこのように大事を成し得たのは彼が政治家だからである。

一方、アイドルは基本的には事務所や集団に属しているため個人の思想が表に出てくることは少なく、また政治家ではないため(アイドルを卒業した後に政界に進出することはあるが)民意を掌握するということはないだろう。

しかし、「政治とエンタメ」的な文脈でアイドルが利用される可能性は大いにあるし、辻田真佐憲の著書にあるように「日本が今戦争に突入すれば、アイドルが軍歌を歌うだろう」という冗談が存在することも確かだ。絶対的な指導者の立ち位置ではなくとも、アイドルがその偶像を意図的かつ効果的に用いることでヒトラーのように大衆を扇動する役割を担う可能性があることは否定できない。

 

 

参考文献・参考資料

佐藤優×斎藤環反知性主義ファシズム』、金曜日、2015

瀬川裕司「レーニ・リーフェンシュタール『意志の勝利』」、明治大学教養論集刊行会、1999

田野大輔『魅惑する帝国−政治の美学化とナチズム』、名古屋大学出版会、2007

辻田真佐憲『日本の軍歌−国民的音楽の歴史』、幻冬舎、2014

古谷利裕『虚構世界はなぜ必要か?』、勁草書房、2018

ヘルマン・ラウシュニング著、船戸満之訳、『ヒトラーとの対話』、学芸書林、1972

井口祐介「レニ・リーフェンシュタールと『ファシズムの美学』」、2008、(最終閲覧日2019年7月1日)、<https://core.ac.uk/download/pdf/56645902.pdf

西条昇・木内英太・植田 康孝、「アイドルが生息する『現実空間』と『仮想空間』の二重構造」、2016、(最終閲覧日2019年7月1日)<file:///Users/MacBookAir/Downloads/DK26-18s.pdf>

ダーヴィト・ヴネント『帰ってきたヒトラー』、コンスタンティン・フィルム、2015

レニ・リーフェンシュタール『意志の勝利』、ワーナーミュージック

鉄血のオルフェンズへの感情、自分が思ってるより根深かった

2019年11月16日、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のピアノコンサートに行ってきました。

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鉄血ピアコン



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実は鉄血のイベント行くのって最終回の時のラストフラッグ*1以来だから、実質2年半ぶりくらい?だったわけです。

 

鉄血の二期を見ていた時期、私は高校三年生で、ばりばり受験生で。それでも週に一回の楽しみだからって毎週日曜17時は何が何でも家に帰ってリアタイしてた。

そして忘れもしない2017年2月26日。

大受験のあと、私立志望でもう受験終わってた友達がお疲れ会を開いてくれて、つるとんたんでご飯を食べてて、談笑しながら何気なくツイッター開いたら、トレンドに「シノ」「シノヤマ」。ここで勘のいい私は全てを察してつるとんたんで号泣するっていう(笑)

そんで家帰って見てまた大号泣した。シノのシーンはほんと半分トラウマで、今でも火で焼かれるシーンとか見れないし動悸がするくらい、(笑)

最終回イベントの時ももちろんつらくてつらくて大号泣したなあ。ラストフラッグ終わって外でたら、空に綺麗な三日月が浮かんでてさ、友達と「み゛か゛づき゛だよ゛お゛」ってまた泣いた。

 

そんなこんなで、鉄血は、私個人的にかなり真面目にちゃんと見てきて 追ってきて、影響を少なからず受けているし、生きていく上でのなんらかの指標にもなってるし、鉄血が私の中の大きな割合を占めていた時期は確実にあったし、と 思い入れの深い作品ではあるんだけど、それでも(今の自分の旬ジャンル鉄血じゃないしな〜〜〜最終回イベ以降辛すぎて見返してないしな〜〜〜)って楽観視してたんですよね。

 

で、当日。

ぼっち参加だし気楽にいこう〜プロのピアニストの演奏楽しみ〜!くらいの気持ちで行ったのに

終わったら大号泣してる自分がいた

…え???自分の中にこんな感情あったんだ???ってくらいの久しぶりの大泣き。

後半の二期パートに入ってからの涙腺の決壊っぷりが尋常じゃなかった。

 

リアタイ時から一回もアニメ見返してないのみ曲が流れるだけでなんとなくあの話か、みたいなの思い出せちゃうし、なによりピアノと共に流れてる映像がやばかった 本当にダメだった。

2年以上、なんならもう少しで3年経とうとしているのに、あの頃の感情がブワーーーーーって蘇ってきたの。

 45話のさ、シノがダインスレイヴを発射しようと構えるシーン。その瞬間、とっさに(ダメダメダメダメダメダメやめてやめて…!!!!!!!!!!)って思って立ち上がって叫びそうになったくらい、臨場感をもって自分の前に映像が立ち現れた。ほんと、追体験みたいな感覚で。

マクギリスとガエリオのシーンも、ほんとに悲痛で。オルガも、ラフタも、みんな。(ビスケットは前半だったのでギリ耐えた)

直接的に死ぬシーンは流れなかったけど、その直前は映るから、余計に思い出しちゃうというか 自分の辛い記憶のなかの映像で思い出しちゃうからかな。

 

鉄血で苦しんでいるオタクたちって多分、鉄華団によせて物語を追っちゃってた人だと思うんだけど、わたしもその典型で。どうやっても物語から 鉄華団の物語から、距離を取れなくなっちゃうんだよね。そうやって苦しんできたよねみんな。

多分この先の人生で、どれだけ時間が経っても何回見ても辛い苦しいなんであんなことに、って思うんだと思う。それは変わらない気がする。

 

鉄血のオルフェンズ、なにはともあれつらい。おわり。

*1:会場がお通夜だったやつ

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プロメア:差異は同質化されなきゃ共生できない?

夏休みに入ったよ〜 ということで以下書く文は話のまとまらないメモであり、夏休みの研究テーマです。

 

 

プロメアは巷でも言われているように、中途半端に差別と共生の話を書いて、でもメインテーマがそこじゃないから描ききっておらず、その根本的な解決策やら結論やらは置き去りだった。

映画の中でバーニッシュは突然変異により誕生した炎を操れる人種として描かれ、おそらく少数派で、差別・迫害の対象であった*1。そして最後は完全燃焼したことによってバーニッシュと非バーニッシュの差は消えた(とされる)。

作品のテンションと見終わった後の爽快感によって大団円じゃーん!!!と思ってしまいがちだが、これって実は全然大団円じゃないんじゃないか?

プロメアが完全燃焼したことでバーニッシュという人種は消えたけど、ガロが示唆するように「今後お前ら(バーニッシュ)に降りかかる火の粉」が存在する可能性があるわけで。ピザ屋でピザを焼いているのがバーニッシュだったってわかった途端、何も害はないのに「気持ちわるい」といってピザを床に叩きつける市民のように 洞窟で「バーニッシュも飯を食うのか?」と笑ったかつてのガロのように バーニッシュがバーニッシュであるというだけで、そこには差別の構造が存在してしまう。

だがしかし、「バーニッシュだって人間」で、「腹は減る」し「仲間が死ねば悲しむ」のだから、その存在だけで差別されていいはずがない。ほんとうは、バーニッシュがバーニッシュとして認められている世界でお互いの存在が許されてなきゃいけなかったはずなのだ。(なんかつらくて涙出てきた)

完全燃焼してプロメアはもとの並行宇宙に帰って行って、バーニッシュという人種はいなくなりました、めでたしめでたし。になっちゃいけないんだよ本当は。

現実でも作品の中でも、往往にしてこのようなことは起こりうる。つまり、少数派の人たちが多数派に同質化・迎合することで大団円を迎えたような錯覚を覚えるのだ。

 

 

今まさに現実で起こっていることにも共通するなと思う。ので、そのへんは長い夏休みを使っておいおい考えていきたい。

 

 

*1:差別・迫害の対象であったことは作中描写から自明

京アニに頭が上がらない

7月18日の京アニの放火事件からもう2週間も経ったのか。

心から冥福をお祈りいたします。

あまりのむごたらしさに少し諸ニュースから離れるという決断をしていて、精神的にしんどくなっていた。それほどの衝撃。

ニュースになった当時はそんなに大事だなんて思わなくて、死者もゼロって出てて、それでも映像で見た燻る炎はなんとも惨たらしくて。次に見た時は死者一人って出てて、大惨事にならないといいなと願いながらバイトに行った。

それで、働いて、休憩の時間になってツイッターを見たら、死者が10人強に増えていた。なんてこと、って思いながらその後もバイトして、次に携帯を見た時には25人、夜家に帰ってテレビのニュースを見たら33人になっていた。

これは、もう、テロじゃん。

そう思ったし、実際テロだった。それも平成以来最悪規模の。

 

リアルタイムでニュースを見ていて、時間を追うにつれてどんどん死者が増えてくの、すっごいリアルで涙が出た。まあ現実のことだからリアルなのは当たり前なんだけど、余計実感がわいてしまって、本気で怖くて泣いた。

報道ステーションで見取り図と死亡者33人の内訳が出ていて、そこでわかったのは屋上へ続く階段で20人が折り重なって亡くなっていたこと。きっと屋上に逃げようとして、最上階で、ドアは開かなくて、炎に追い詰められて、階段で亡くなったなんて そんな そんなひどいこと って思った。つらかっただろうな、熱かっただろうな。

 

昔あることがきっかけで、リアルな火災に対してかなり敏感になってしまってので、本当につらくてしんどくてたまらなかった。

 

 

気にかかっていたからニュースから情報を得ようと必死だったけど、本当にしんどくなったから、このツイートを見て2日間くらい情報を遮断した。 

 

そのあと心がある程度回復した頃、京アニから公式に支援振込用口座が用意された。それ以前もアニメイトやいろんな団体が募金箱を設置してくれていたのは知ってたけど、京アニさん自分たちの処理だけで大変だろうに、私たちの意を汲んで口座を用意してくれたことに感謝しかない。

 

さらに、映画の仕様変更や、上映予定だったものを延期・中止せずに上映してくれる。なんて素晴らしいんだろう。

7/29にサイトに「世界中の皆様へ」のタイトルで上がったお知らせの文章も、日本語を含めて全6ヶ国語に翻訳されていた。世界各国から支援が届いているんだろうな、とか、京アニはそれほど多くの人たちに幸せを届けてきたんだな、とか思った。

そしてここでもやっぱり、手間もお金もかかる翻訳を通してまで、私たちファンのことを気にかけてくれている京アニに感謝の念を抱いた。代理弁護士が優秀なのか、社長や取締役が優秀なのかはわからないが、京アニ、ほんとすごい(小並感)

 

 

 

応援上映でめちゃくちゃ落ち込んだ話

これはもう身の上話というか、完全に個人の感想なんですが…

応援上映が肌に合わなかったって話です。あんまり気持ちの良い話じゃないので見たくない方は見ないでくださいね、私の気落ちの整理と忘備録なので。

ネタバレはありません。

 

 

新宿バルト9でやっていたプロメアの応援上映、いわゆる応炎上映に行ってきたんですよ。

プロメアは話題になってすぐくらいに見に行って、最高にアツくて面白くて、世界観やキャラや物語の進行など百点満点、大好きな映画です。それはきっと、ずっと変わりません。大好きなので4回見に行きました。(円盤化待ってます!)

異例の大ヒットにより当初の予定よりロングランになったとはいえそろそろ終わってしまう時期。都内でもそろそろ上映館が少なくなってきて、行ける時間も限られる。そんな中で「月曜日応炎上映の席取れそうだよ!」と言われ、ちょうど予定も平気だったので行くか!となった次第であります。 

私、初めての応援上映。オタクなので応援上映がどういうもんかは分かっていたし、コスプレもうちわ・サイリウムの持ち込みもオッケー!ということだったので自作のうちわとサイリウムを用意しました。

そんなこんなで気合十分に準備して行った応炎上映。

 

…だったんですが、まあ結論から言うと全然楽しめなかった。途中から気持ち悪くて泣きそうだった。

なんでそう思っちゃったんだろう、なんで純粋に楽しめなかったんだろう。こんなに好きな作品なのに、あんなに楽しみに準備もしたのに。

応援上映は自由に叫んだり声掛けして良いものっていうのは知ってた、それでも初めて応援上映っていうものに行ってみて、どうしようもなく無理だった。もし一人で行ってたら途中退室してたと思う。なんでこんなにダメだって思ったんだろう。

 

まず私が普通にアニメのオタクだけじゃなくて映画オタクでもあり、映画館に行って映画だけを見るっていう2時間程度の没入体験を何より重視しているかもしれないな、と思った。映画を見るとき、登場人物に感情移入こそすれ、そこに自分は存在しないし、映画の中の人たちだけで完結している所に割って入っていくのは嫌だった。(もしかしたら、私が応援上映の中で感じていたのはよくある「百合に挟まれたい男子」の類似性なのかも。)

だから、台詞を一緒に言ったり、何かアクションを起こしたキャラに沸く(悲鳴をあげるなど)のは平気だったけど、キャラの台詞に対して「そうだよー!」とか「ひどいー!」とか言ってるのがダメだった。

あと客の声で台詞や音楽が聞こえないのも嫌だった。

まあ、応援上映ってそういうものなんですけど。

 

あとはもう、敢えて言葉を選ばずに言うと、純粋にオタクって基本気持ち悪いじゃないですか。自分もオタクだけど全然そう思う。いつも公にしていないものが急に我が物顔で湧いて出たら(ウッ…)ってなる、そんな感じ。

20年生きてきて、オタクの気持ち悪さを表に出さないようにしてきたからこそ、こういう閉じた空間でオタク性が全開になっていることにぞわぞわしてしまう。なんでだろうね、オタクの巣窟のコミケとかでは別に感じないのに。オタクが連帯しているのが無理なのかな。うーんでもライブ等の一体感は好きです…。

 

そもそもこんなに無理だと思わなかったから応援上映行こうってなったわけで、その根拠にしてたのはライブやコンサート、そして一番はテニミュのライブビューイング。

テニミュのライビュって今回の応援上映みたいに映画館で声出しオッケーだし同じようなものだと思っていたので、2ndのとき数回行ったしそのとき平気だったし応援上映も楽しめるでしょ!って考えていました。

でも、今考えると、テニミュのライビュ中は演者に言葉を投げかけたりしない(だってお芝居中だもんね)し、声を出すのはコール&レスポンスの時だけだ。※「勝つのは?」「「氷帝!」」みたいな

だから、一作品として出来上がっている《映画》に声をかけるのとはわけが違う。

 

と、色々考えた結果このあたりが楽しめなかった原因なんだろうな。

うたプリみたいにライブ系の映画だったら大丈夫なのかな、その辺りは行ってみないとわからないけど、行こうとは思わない。

応援上映が肌に合わなかったことだけを心に抱いて生きていくしかない。

 

応援上映やオタクに対して批判的なことを書いてしまったけど、みんなで騒いだり愛を伝えたりが好きな人には楽しいものなんだろうし、こういう場でしか大声で叫べないからオタク性を全開にするのもわかる。だから、これまでの話は、私が応援上映合わなかったというだけで、応援上映自体を否定しようとか言う気はまっっっっっっっっっったくありません。

10人いれば10通りの楽しみ方があるもんね。みんな、それぞれのオタク生活をこれからも楽しんでいきましょう。

ワートリ公式からスピッツの『夜を駆ける』がイメソンと発表されましたが

ここ数日のワールドトリガー公式アカウントによるQ&A爆撃に息も絶え絶えなワールドトリガーのオタクたち。そんな我々を一層賑わせたやつです。

はい。こちらのツイートですね。

 

 

公式によるイメソンきた!!!!!!!!!!!!!!!

 

これを皮切りに、ワールドトリガーのオタクたち(通称ワ民) はこぞって『夜を駆ける』を購入。

結果、まさかのApple Musicのランキング入り(笑)

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リリースから17年経っているにも関わらずランキング入り

 

ワ民の行動力すごい+みんなちゃんと公式で買っていてえらい。

※当時Twitter上で「Youtubeに載ってるのは非公式だからこっち(Apple Music)で!」という注意喚起もありました。

 

そして、この騒ぎを目にしたスピッツのオタクたち(通称ス民)との交流や布教合戦もあり

ス民はワートリを読み始め、ワ民は三日月ロック(夜を駆ける収録アルバム)を聞きスにハマっていく…という正のスパイラル。

 

ワートリのオタクははワールドトリガーのことを「ワ」と略すし、スピッツのオタクはスピッツのことを「ス」と略すらしい、この親和性。出会ってくれてありがとう。

 

と、ここまでがここ公式周辺の最近の出来事。

 

そこでなんですが、私もワのイメソンだろっていう曲、あるんですよ…。公式イメソンがスピッツなのでアレなんですが、こう、ポルノグラフィティのオタクとしては『真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ』って曲があってですね…そういうあの…(歯切れが悪い)

 

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真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ

というわけで『真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ』のワートリ解釈垂れ流します

 

 

Hey Brother 気づいてるのかい?

床に落ちたその白い灰は

キミの心 空になるまで全部燃やし尽くした証になるんだ

 

警鐘が鳴り止まない街 呑気で純情な旅人

栄光も挫折も知らぬまま 目の前の酒を飲み干してる

しばらくはその勢いに任せて 全てが煌びやかに見えた

醒めたらその寒々しさに 胸が焼け明けるまで嘔吐(えず)いた

 

黒い鳥たちが翼を広げ

手招きしながら 道を選べと迫ってる

 

Hey Brother 頭の中 巡る失敗と成功のシミュレーション

転ぶ先はどっちだ? Black&White 心がすり減っていく

三秒後の世界だってわかるはずもない 予言者じゃない

ならば目の前の現在(いま)に向かって その生身をぶつけながら進んでく

 

 

まず冒頭 「床に落ちたその白い灰は キミの心 空になるまで全部燃やし尽くした証になるんだ」は、もう、ね。生身の遊真の命が尽きること前提として、もう生き様そのものじゃん…"白い"灰ですよ。あの指輪に閉じ込められている命が尽きたら白い灰になるの。でも、それは証になるんだよ 君がいたことの証明 

あとこれダブルミーニングで、有吾さんや最上さんをはじめとした黒トリガーのこととも読める(勝手に読んでるだけですが)。自らの全トリオンを注ぎ込むことで命と引き換えに作り上げるトリガー…全部燃やし尽くした証…。

 

「警鐘が鳴り止まない街」はそのまま、異世界へのゲートが開いて近界民の侵攻がある三門市に当てはまるし、「呑気で純情な旅人」はそんな状況にも関わらずあまり人が出て行かない三門の市民たちですね。はい。三門市では過去に大規模進行を受けていて人が大勢死んでいて、それでも三門から出て行く人は少なかった。そんな「呑気で純情な旅人」

 

「黒い鳥たちが翼を広げ手招きしながら 道を選べと迫ってる」 「頭の中巡る失敗と成功のシミュレーション」「転ぶ先はどっちだ? 心がすり減っていく」「三秒後の世界だってわかるはずもない 予言者じゃない」 これは!!!迅悠一!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 黒い鳥は黒トリガーで、未来視のSEを持つ迅は道を選ばざるを得なくて。過去から現在までのたくさんの選択 そこには天秤にかけた命も捨てた未来も沢山ある。失敗と成功のシュミレーションを何度も何度も何度もこなして、心がすり減っていく。三秒先の未来が見えたって、それで世界がわかる訳じゃない 予言者じゃない ただの人間だよ迅悠一は。 それでも 進んでいくしかない。

 

そういうことです。

 

 

music.apple.com

 

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4回目でもまだまだ発見がある紺青の拳感想

タイトルの通りです。

先ほど4回目の出国を終えまだまだ新しい気づきがあって正直びっくりしてます。

ザッと、新たな気づきが3つです。

早く本題に入りたいので今回はすぐスクロールしてください!!!!!!!

(この先ネタバレ注意)

セリフは曖昧なので気にしないでください。

 

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  • リシの家の傘

アーサーヒライがリシの家を訪れるシーン。アーサーは「すごーい!!!これ全部お父さんが?」などとお父さんについて探ります。そのうち玄関の近くに傘があるのが一瞬映るんですがこれが問題で

傘、2本あるんですよね…青と黄色の…

実はこの2本の傘の存在に気づいたのは3回目の出国時で、この時は(一人暮らしなのに傘2本ある!恋人か!?)などと思ってたんですが今回、傘が映る直前のシーンで気づいてしまった。それは、

リシのお父さんとリシの写真、着てる服が青と黄色…(お父さんが青い服、リシが黄色い服)

 

このことから推測するに、この2本の傘はお父さんとリシ本人のもの。黄色い傘はリシ本人のもので青い傘はおそらくお父さんの遺品。つらい……………。お父さんへの思いを忘れないようにするために取っておいてるとしたら、亡くなった5年前からあるということです。

シンガポールは熱帯に位置し、雨が非常に多い地域。雨季乾季はないですが一年を通して急で激しいスコールが降ることが多いです。傘は必携でしょう。そんなシンガポールで遺品の傘をずっと取っておいてるリシ・ラマナサン…

 

そういえばリシ君は自パソに犯行計画入れてなくてよかったね。

 

 

  • 後からわかる一瞬のシーン

気づいたのはほんの一瞬挟まれた、朝焼けの海。

これは、

アーサーがリシの家で事件を探ってるのと時を同じくして、キッドがレオン・ローに探りを入れ、上空から海賊ユージーン・リムと密会するレオンを偵察し、「やられたらやり返す、それが俺の流儀でね」って言った直後のこと。

また、空手トーナメント最終日の白熱したスタジアムが画面に映される直前のこと。

 朝焼けが反射するシンガポールの海に沢山の船が浮かんでいるシーンが映るんです。

 

これってよく考えれば、レオンによるシンガポール破壊工作実行当日の朝。マーライオンが血を吐く事件=海賊たちへの終結の合図があり、実行隊長格のユージーンがレオンに最終確認→(朝焼けのシーン)→中富開運の船をジャックしてタンカーを街へ、っていう一連の流れがある…

マジで一瞬なのによく気づいたな私。褒めて。

 

 

  • レイチェル殺人事件のキッドへの容疑

単純に、死亡推定時刻調べればキッドがレイチェル殺しをやっていないって分かるんじゃない?という疑問です。

終盤のコナンの推理では、レイチェルは(海賊たちが作戦を決行する日を軸として)おっちゃんと接触した一昨日の夜までは生存が確認されていて、その後から金庫室に紺青の拳が搬入されるまでの間に殺され、台座の中に入れられたと。で、昨日の3時頃にキッドがレイチェルの死体を発見し、殺しの容疑を掛けられた。

宝石が搬入されたのが当日の朝9時頃としても発見まで6時間も経ってる。これはさすがに死亡推定時刻調べれば容疑は晴れるでしょ…警察は何をやってるんですか…

まあコナンの世界では警察が急に無能になるのはよくあることだし、現行犯的な意味でキッドを追ったのは間違いじゃない、捕まえた後で検証すればいいしね。でもさすがにガバガバすぎでは?って思いました。

視点を変えればタネが見えてくるって寸法です(?)

 

 

その他ちょっとした気づき

 

・海賊の「Don't move」が作中で一番エロい

・夕方リシと新一とアーサーが話してるシーンでリシの後ろに「MSBC」のビルがある

これ字体からして完全にSMBCのもじりです

 

 

 

  

まあご覧の通り何回見ても面白い、噛めば噛むほど味が出る今作ですが

序盤のキッド扮する新一がもう本当にかわいい(ふわふわしている)ので、映画館で見るよりむしろ早く円盤を手に入れて一時停止して可愛い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!って叫びたいです。

ころころ表情が変わる イチゴのアイスをモグモグする ジト目

など可愛い新一が揃っています。

早く円盤でないかなあ…