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ヒトラーとアイドルの類似性

ヒトラーの話なので公開するか迷ったんですが、一昨年書いたレポートを発掘したのであげます。

大1の秋に書いたものなのですごく見苦しい+ほぼ引用で終わっていますが、まあ、記念!(ブログ用に加筆修正済)

 

 

ヒトラーとアイドルの類似性』

 

アイドルに対してオタクは盲目だ。

彼/彼女らは作り込まれた偶像を信じ込み、あるいは偶像を自ら作り上げ、熱狂し、信奉する。

それはある種の宗教のようでもあり、レニ・リーフェンシュタール監督の映画『意志の勝利』における、かつてヒトラーに対して向けられた民衆の眼差しと似ていると感じた。熱狂するアイドルオタクは独裁者に歓声を上げる群衆と何が違うというのだろうか。本レポートでは、ヒトラーとアイドルの類似性について考察する。

 

田野大輔は『意志の勝利』の群衆を見て「独裁者に忠誠を誓う従者というよりはむしろ、アイドルに声援を送るファンの姿に近い」と述べている。この映画はプロパガンダ的な映画であるから当然ではあるが、リーフェンシュタールは過度に対象を美化、つまりヒトラーを「神格化」して映像化している。これについて瀬川裕司は、彼女は「現実のものを〈現実を超えた芸術〉として提供するべく努力した」と書いているがこれについては、アイドルにも同じことが言えると考えられる。

 

そもそもアイドルとは何か。

大辞林によると「偶像。崇拝される人や物。」と定義されている。アイドルは現実に生きる一人の人間ではあるが、同時に自己をキャラ化して偶像を作り上げそれを演じている。

西条昇らが述べているように、「アイドルは,恋人がいても『いない』,焼き鳥や塩辛が好きでも『プリンやクレープが好き』とコメントし,年齢,体重,スリーサイズなどのプロフィールを虚偽報告して『仮想』 の『偶像』を創り上げた」のである。いわば、現実の自分を誇大化してファンに提供しているのだ。AKB48は恋愛禁止を謳っているが、それの真偽はさておきファンに「誰のものでもないアイドルという自分」を魅せることが大切なのだ。

これは女性アイドルに限らず男性アイドルでも同様の意向は見られ、Sexy Zone中島健人は徹底的に王子様キャラを作ることによって偶像性を強化している。嵐の二宮和也は「普通の男の子たちがある一定の条件を満たすと神格化する、その一定の条件にコンサートが含まれている」と述べており、普通の人が条件付きで神格化されると語っている。

 

一方ヒトラーについて、ペーター・スローターダイクは「彼はまさに『水平的理想化』によってつくりだされた偶像」と述べており、彼のイメージもまた作り上げられた「偶像」ということが分かる。ナチ党が民衆に対して行ったのは高田里恵子の言うところの「フィクションへの執着、イメージによる大衆操作術」であり、これらのことからアイドルとヒトラーのキャラ戦略的な類似点が見えてくるだろう。

さらに、デートレフ・ポイカートは「ほんの一瞬だけ、しかもたいていは遠くから見たにすぎなかってとしても、『総統』との出会いはつねに強烈で、まったく個人的な出来事として説明された。」と記したが、これはまさに推しを目にしたオタクのようである。コンサート会場で耳にする「今○○私のこと見た!」との発言と同様ではないか。アイドルとファンが出会うとき、その瞬間は世界は二人だけのものであり、きわめて個人的な経験なのである。この記述より、極めて個人的な出来事の集合が民衆とヒトラー、オタクとアイドルの関係を形成するという点でも類似点を見出せた。

 

では、ヒトラーとアイドルは同一視して良いのか。それは違うだろう、と考える。

ヒトラーが悪名高い理由は一極集中の独裁体制を敷いたこと、そして第二次世界大戦を引き起こしたことや優生学による大虐殺を行ったことである。ヒトラーがこのように大事を成し得たのは彼が政治家だからである。

一方、アイドルは基本的には事務所や集団に属しているため個人の思想が表に出てくることは少なく、また政治家ではないため(アイドルを卒業した後に政界に進出することはあるが)民意を掌握するということはないだろう。

しかし、「政治とエンタメ」的な文脈でアイドルが利用される可能性は大いにあるし、辻田真佐憲の著書にあるように「日本が今戦争に突入すれば、アイドルが軍歌を歌うだろう」という冗談が存在することも確かだ。絶対的な指導者の立ち位置ではなくとも、アイドルがその偶像を意図的かつ効果的に用いることでヒトラーのように大衆を扇動する役割を担う可能性があることは否定できない。

 

 

参考文献・参考資料

佐藤優×斎藤環反知性主義ファシズム』、金曜日、2015

瀬川裕司「レーニ・リーフェンシュタール『意志の勝利』」、明治大学教養論集刊行会、1999

田野大輔『魅惑する帝国−政治の美学化とナチズム』、名古屋大学出版会、2007

辻田真佐憲『日本の軍歌−国民的音楽の歴史』、幻冬舎、2014

古谷利裕『虚構世界はなぜ必要か?』、勁草書房、2018

ヘルマン・ラウシュニング著、船戸満之訳、『ヒトラーとの対話』、学芸書林、1972

井口祐介「レニ・リーフェンシュタールと『ファシズムの美学』」、2008、(最終閲覧日2019年7月1日)、<https://core.ac.uk/download/pdf/56645902.pdf

西条昇・木内英太・植田 康孝、「アイドルが生息する『現実空間』と『仮想空間』の二重構造」、2016、(最終閲覧日2019年7月1日)<file:///Users/MacBookAir/Downloads/DK26-18s.pdf>

ダーヴィト・ヴネント『帰ってきたヒトラー』、コンスタンティン・フィルム、2015

レニ・リーフェンシュタール『意志の勝利』、ワーナーミュージック